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パトリシオ・ガルシア・デ・パレデス

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少年時代、マクロビオティックとの出会い

 私が最初にマクロビオティックを知ったのは、私の母からであり、私が5歳のことでした。私の母、ルイサ・バランダ(1942ー2008)は、子供の頃とてもひ弱で、常に医者通いをするほど病気やさまざまな苦痛を経験して育ちました。母の体調はその後さらに悪化していき、日々の生活もままならなくなり、妊娠期間中も大変だったうえに、生まれた子供たちの世話も難しくなっていきました。長年の不健康な状態は、母の身体にとって大きな負担となっており、回復の見込みがないと医師から告げられるほど体調は悪化していました。

 母は自分の抱えている症状を改善するために、問題の原因を探して、自分の症状に関する情報を手当たり次第に読むようになりました。こうした探究の結果、自分の症状と自分の食事や生活方法とのあいだに何らかの関連があるのではないかと考えるようになっていきました。母は、食べ方を徐々に変えていき、肉を食べないベジタリアンへと変わっていきました。また、ヨガなどのホリスティックなエクササイズをするようにもなり、よりナチュラルな代替療法を実践するようになっていきました。

 母が最初にマクロビオティックを知ったのは、久司道夫アヴェリーヌ夫妻がスペインのバルセロナで開いたセミナーに参加した1975年のことです。ここでの経験が母の人生の転換点となったのですが、それに続いて起こったのは、家族全員にも影響した数々の変更でした。そして、マクロビオティックと久司夫妻によって、母は健康を取り戻していきました。

 久司アヴェリーヌ偕子のマクロビオティック料理からの影響により、母は健康的な食事を毎日つくるようになり、私たち家族の食べ方の改善もしていけるようになりました。家庭の食習慣を変えようと試みたことのある親御さんはどなたでもご存知のように、それは生優しいことではありませんでした。しかし、良い結果に裏付けられた母の強い意志と忍耐力によって、ついに家族全員の食事のあり方を健康的なものへと変えてしまいました。

 当時ヨーロッパでは、マクロビオティックへの関心が高まりつつあり、1970年代後半から80年代前半にかけての母は、スペインでマクロビオティック教育をするための準備や指導で忙しくなっていました。そして彼女からマクロビオティックを学び、料理を教わろうとして、スペインやヨーロッパだけでなく中東や南米からも生徒たちが出入りするようになり、私の家はついに学校のようになってしまいました。

 母は、マクロビオティックを教えるだけでなく、ヨガのインストラクターにもなって、健康促進に関心のある人を手伝うようになりました。さらには、自然派運動や有機食材の普及運動をスペインに広げる手助けをするかたわら、オーガニックの食材やマクロビオティック食品を扱った自然食品店を開いて、食材の質の改善、化学物質を使わない持続可能な食材、そうした食材の簡易な入手法などを人々に伝えるようにもなりました。

 ちょうどその頃、私は、キッチンへと引き寄せられていき、調理を楽しむようになっていました。私の健康を維持するために、母は、食材をよく考えて注意深く選ぶことの重要性を、私が小さいうちから教え込んでくれました。そして私の食材選択には、環境やほかの人々に及ぼす影響が隠れていることも教えてくれました。その当時母がよく言っていた「健康がすべてではありません。でも健康でなくては、人生を楽しむことも夢を達成することもできませんよ」という言葉は、いまだに耳の奥に残っています。当時は知る由もありませんでしたが、こうした経験のすべてが、私がマクロビオティックへと向かう旅に必要な学習となり、私の基盤となっていったのです。

 1985年、母は、米国の久司道夫アヴェリーヌ夫妻からマクロビオティックをさらに学ぶという決断をしました。そして私たちは米国へと移り、ボストン近郊のブルックラインという街に落ち着きました。そこは久司家にも近く、また、当時この町にあったクシ・インスティテュート(K I)にも近い場所でした。そこで学習を重ねたあと、母はクシ・インスティテュートの活動に参加するようになり、やがては講師、調理講師、健康カウンセラーとして国際的に認識されるようになっていきました。2008年、マクロビオティック運動における彼女の功績と指導力に対する謝意として、クシ・インスティテュートからアヴェリーヌ・クシ・アワードが贈られました。

​人生の目的を探す

 私が高校生だった頃は、近所にあったエルワン(Erewhon)という自然食品店でさまざまな仕事をしましたし、ボストン近郊にあったマクロビオティックのレストランでは、キッチンでの経験を得ることができました。ブルックライン高校を卒業すると、私は、将来について考え、探究するために、世界中を旅することにしました。中南米を旅しているとき、食糧の不足によって引き起こされた栄養失調や貧困に初めて直面しました。そして森林の伐採や汚染の蔓延など、私たち人類が引き起こしている自然環境の破壊を目の当たりにしたため、それ以来、自然環境と地球のことを思いやる気持ちを抱くようになりました。

 また、目をみはるような母の回復についても深く考えるようになり、マクロビオティックが長年にわたって、私の健康と幸せにどのような影響を与えたのかについても考えを巡らすようになりました。そして深い感謝の念を覚えただけでなく、これほど貴重なものを自分自身のためだけにはしておけないと感じたのです。私には、マクロビオティックこそが人々の手助けとなる完璧な手段であることがわかっていました。しかしその前には、私自身がさらなる学習を重ねていき、その目標に向かって備える必要がありました。

Kushi Institute in Becket MA, USA

 私の正式なマクロビオティック教育は、1989年、最初はブルックラインのクシ・インスティテュートで、そしてその後はマサチューセッツ州西部のベケットで受け、すべてのレベルと実習科目を4年かけて終了しました。クシ・インスティテュートでの学習以外には、調理、食品加工、有機農業や自然農業、クッキングクラスのアシスタント、健康相談の書記などさまざまな仕事をしましたが、それらの仕事からも多くの経験を得ることができました。米国でのマクロビオティックの活動はその当時ピークを迎えており、常時、新しい本やクックブックが出版されて、情報に富んだセミナーが開かれていたうえに、毎年のサマー・コンファレンスなどの大きなイベントには何百人もの人々が世界中から集まっていました。これらから得られた情報や知識もまた、私の糧となったのです。

Trip to Japan in 1994-1995

 私が日本を最初に訪れたのは、母や友人と来た1994年の冬でした。ご存知のとおり、マクロビオティックに関心のある世界中の人々にとって、日本は特別な場所です。それは、世界規模で進んでいるマクロビオティック運動の出発点であったからというだけでなく、初期の人々や最も影響を与えた先生方が日本人であったからでもあります。私たちの旅の目的には、日本についてさらに多くを学ぶこと、インスピレーションを受けること、日本文化に親しむこと、そして長年にわたって知り合った日本の友人たちに会うことでした。

 私たちの旅は3ヶ月に及びましたが、日本の友人たちは、私たちをあちこちへと連れて行ってくれたうえに、自分たちの家に宿泊させてくれることも少なくありませんでした。私たちは、特に伝統的な食文化についてさらに学びたかったので、日本中にある文化的な場所や自然の景勝地以外では、多くの農家、調理人、レストランなどを訪れたほか、糀、甘酒、味噌、醤油、漬物、蕎麦、素麺など多くの伝統的な食品加工業の施設を見せてもらいました。

 しかし日本をあとにした私たちの気持ちは、複雑なものでした。この旅で私たちは、大いに楽しむことができ、価値のある忘れがたい経験ができて、心からありがたいと感じていました。そして、日本の伝統的な食文化が、食物の品質とも、自然とも、そしてシンプルで規則正しい生活習慣ともバランスし合い、あらゆる面で調和しているため、健康や長寿を簡単に得ることができるのだとわかったのです。しかしその反面、そういった伝統的な生活方法の多くが失われ、その多くが西洋から始まった現代的な影響に取って代わられてしまい、日本が急速に変わりつつあるのを自分の目で見ることにもなったのです。そして、これらの変化が未来にもたらしうる影響を危惧するようになりました。こういった一連の状況が、マクロビオティックの必要性と、食物の質、調理方法、食べ方の重要性を再確認させてくれたのです。

仕事に就く

 それからの数年間、私は、学んできたことを実践に移し、かつ経験を深めるために、さまざまな仕事や活動に加わるようになりました。マクロビオティックについてやその調理法を教えて欲しいと求められて、各地にも行きました。シンガポール、東南アジア、コスタリカ、ペルー、中東地域、ヨーロッパ、米国などがそのおもな国々ですが、そのほかにも、個人への調理指導、専門職としての調理、食事指導、健康相談などもしており、オーガニック食物やマクロビオティック食品の開発に関心のある会社との仕事も続けていました。

 多くの国を訪れて多様な文化に触れ、あらゆる職業の人々と出会うことは、人生を豊かにしてくれるうえに、どのようにしたらマクロビオティックを、さまざまな状況下で、しかも異なった条件に対して応用できるのか、という問いについても考えさせてくれます。理論は、実生活に適用しなければ意味がありません。それまでは学習と練習を何年も積み重ねていましたが、実際に機能させるための経験や、人々に伝える経験は少なかったのです。

Teaching at Macrobiotic seminars in the 1990s

 1996年、私は久司道夫とアヴェリーヌ偕子から、パーソナル・アシスタントとして1ヶ月に及ぶ日本への旅行に招かれて、日本への再訪を果たしたのでした。翌年、さらに数回の旅行を重ねたあと、私は日本に移住する決心をし、そして日本に移りました。日本ではクシ・オフィスで久司道夫の教育活動のために働き始める一方、講義、クッキングクラス、記事の執筆などにも従事していました。

 1998年、東京の皇居近くにクシ・ガーデンという小さなレストランを開く計画が始まり、そのレストランの共同参画者および主任シェフとして働き始めました。また、通常のクッキングクラスも継続して開いており、講演の依頼もありました。クシ・ガーデンの趣旨は、より現代的かつ国際的なプレゼンテーションでマクロビオティックを提示することであり、当時としてはかなり革新的でしたが、人々の反応はとても良いものでした。

Working at Kushi Garden and Chaya Macrobiotics

 2000年には、レストランの近くにクシ・ガーデン・デリ&カフェをオープンし、私のレシピが雑誌や料理本に取り上げられたりしました。特に私のスウィーツは、精製された甘味料や人工的な甘味料、乳製品や卵を使わない自然なスウィーツという趣旨でしたので、当時の日本ではかなり斬新な考え方でしたが、それでも多くの注目を集めました。そして2002年に、最初のクックブック『砂糖を使わないお菓子』を日本語で出版しました。

 2002年、私は、チャヤ・マクロビオティックからエグゼクティブ・シェフとして招かれました。チャヤで働いた3年のあいだには、東京に3軒のマクロビオティック・レストランを開くことができましたし、私たちのつくった食事やスウィーツは、レストランだけでなくさまざまな場所や多くのイベントでも販売されました。チャヤ・マクロビオティックでは、多くの経験豊富なシェフに教えることができ、共に働くこともできました。私はクッキングクラスも定期的に続けており、新しいクックブックやさまざまな雑誌に掲載されたレシピの開発も継続していました。

Teaching at KIJ

 2004年、私は、新たに設立されたクシ・インスティテュート・オブ・ジャパンからエジュケーショナル・ディレクター(教育責任者)および主任講師として招かれましたので、その後の10年間はマクロビオティック教育の開発に全力を注ぎました。その間にも私たちは、多くの生徒たちにマクロビオティックを教え、新たな講師たちや調理講師たちを育てました。主要なコースは『マクロビオティック・リーダーシップ・プログラム・レベル1、2、3』でしたが、このコースは、米国のベケットにあったクシ・インスティテュートのプログラムを見直して、更新したものです。また、マクロビオティック・スウィーツのコースやプロフェッショナル・シェフ養成コースなどの新しいプログラムも新たに開発して教えました。そしてクシ・インスティテュート・オブ・ジャパンによるマクロビオティック・コンファレンスや久司道夫による特別セミナーなど、さまざまなワークショップやイベントも主催しました。

Teaching at the summer conference in 2015

 調理のデモンストレーションや講義をするために、日本の各地へも行くようになりました。また食品会社からもアドバイスを乞われて、マクロビオティック品質の食品やスウィーツ、特別な製品の開発も手伝いました。また、海外にも行くようになり、米国のクシ・インスティテュート・サマー・コンファレンスや、クシ・インスティテュート・オランダ主催によるインターナショナル・マクロビオティック・サマー・コンファレンスなどへは定期的に行って教えるようになりました。その一方で、私の執筆したレシピ、記事、インタビューなどは、依然として書籍、雑誌、新聞などに掲載されており、2007年には、2冊目となる『パトリシオのハッピー・マクロビオティック・スウィーツ』を出版しました。そして2010年、私は久司道夫からアヴェリーヌ・クシ・アワードを受けたのです。

 2016年、私は東京でクシ・マクロビオティック・スクール(KMS)を立ち上げ、マクロビオティックの教育を提供し、講義と調理を教えました。また、ヨーロッパやアジアなどの地域で教えるために海外にも頻繁に行きました。

 マクロビオティック・スクール・ジャパンは、現在の地球環境と私たちの暮らしに適したマクロビオティック教育を提供するために2021年に設立されました。健康的で暮らしに役立ち、人のためになり、持続可能性も高めるための知識を身につけて、皆が共存共栄できる世界に貢献しましょう。

創設者履歴

1970: スペイン、バルセロナにて生まれる。

 

1975〜85: 母、ルイサ・バランダによりマクロビオティックを知る。家庭で調理を始め、スペインでマクロビオティック関連のさまざまな活動に触れる。

1985〜88: 米国、マサチューセッツ州ボストンに移住。自然食品店『エルワン』とマクロビオティック・レストラン『サトリ』にて働く。ブルックライン高校を卒業。

1989〜94: 米国、マサチューセッツ州ブルックラインとベケットのクシ・インスティテュートにてマクロビオティックを学ぶ。クシ・インスティテュートにてすべてのレベルと実習科目を終える。ベケットのクシ・インスティテュートにて、調理、自然食品加工、自然及び有機農業、クッキング・クラスのアシスタントなどの活動に従事。

1994: 初めて日本を訪れる。

1994〜95: 講義、クッキング・クラス、パーソナル・シェフ、コーチなどの活動を始め、東南アジア、コスタリカ、ペルー、中東アジア、ヨーロッパ、米国など世界のさまざまな地域でマクロビオティックを広める。

 

1996〜97: 久司道夫アヴェリーヌ夫妻と共に日本を頻繁に訪れる。日本では、授業やクッキング・クラスなどの教育活動に従事。

 

1998〜2002: 日本に移住する。東京にてクシ・ガーデン・レストラン開店のシェフ兼参画者となる。クッキング・クラスやレクチャーを開く。雑誌やクックブックにレシピが紹介される。『砂糖を使わないお菓子』を出版。

 

2002〜04: チャヤ・マクロビオティック・レストランのエグゼクティブ・シェフとなる。クッキング・プレゼンテーションのクラスを開く。雑誌やクックブックにレシピが紹介される。

 

2004〜16: クシ・インスティテュート・オブ・ジャパンのエジュケーショナル・ディレクター(教育責任者)と主任教師に任命される。日本及び海外で講義とクッキング・クラスを教える。雑誌やクックブックにレシピが取り上げられる。『パトリシオのハッピー・マクロビオティック・スウィーツ』を出版。アヴェリーヌ・クシ・アワードを受賞。

2016〜2020: 東京にてクシ・マクロビオティック・スクールを開く。日本と海外で授業やクッキング・クラスを教える。

2021: マクロビオティックの教育センターとしてマクロビオティック・スクール・ジャパン(MSJ)を創設し、ディレクターおよび主任講師となる。

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